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カテゴリ:歴史の時間

国宝瑞巌寺

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松島「瑞巌寺」は平成の大修理中である。
全て完成するのは平成30年。
その中でも国宝である本堂の修理が終わって今月5日から拝観再開したので行ってきた。

P4257770P4257776
瑞巌寺を訪れたのは実に40年ぶり(笑)
松島にはちょくちょく来てはいるが、地元にいるとこういった名所にはなかなか訪れないもので、秋田の築山小学校時代の修学旅行で仙台・松島に来た時以来だ。
当時の記憶はあんまりない。
覚えているのは岩穴に仏像が並んでたり杉木立ちだったり、肝心な“国宝”に関してはほぼ記憶にない。
瑞巌寺より五大堂のイメージが大きい。

本堂内部は撮影禁止。
あの桃山文化の豪華絢爛な襖絵・壁画・長押・欄間etc、撮って記憶に留めたかったのだが…。

これまでの知識で仙台城本丸御殿の大広間にほぼ造りが似ていると知っていたので、イメージを重ねながら見ていた。
照明なんかない当時だけど、あの金ピカで室内はそれなりに明るくなるものだ。
さすが伊達者“政宗”、あの派手さは秀吉にも劣らない見栄っぷりだなと…(笑)

境内は平成の修理と同時に東日本大震災の復旧も同時進行で、参道の杉木立ちは津波にやられ立ち枯れの杉が伐採され、これまでの静観さはない。
植栽も行ってはいるが、これまでの参道のイメージに戻るのはあと何百年掛かることか…。

P4257747五大堂
島の外から五大堂を眺めると、海側に大きく張り出した松の木と波で大きくえぐられた島の側面が、次に大きな地震きたら崩壊するんじゃないかと心配するくらい侵食している。
松島全体が松枯れの危機に瀕してるって話も聞く。
熊本城だってこの先(修復に)いくら掛かっていくら時間が掛かるのか。


文化財や国指定の景観を守るのはなかなか容易ではないものだ。
修復中の瑞巌寺や五大堂を見ているとそういうことを感じざるをえない。


100年前の松島・塩竈実景

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P3307505古地図フェチなワタシ(笑)
古い地図見ながら当時の街並みを想像するのってロマンだなぁ…ってw

「100年前の松島・塩竈実景」(復刻版)
発行/風の時編集部 1,200円+税


この地図が描かれたのは明治末期から大正元年(1912)頃らしい。
100年ちょい前ころの松島と塩竈。
どちらも通い慣れた土地だし、塩竈に至ってはほぼ仙台市の一部といってもいいくらい自分にとっては馴染みのあるところ。
古地図見ながら今昔を比べて感慨にふけっておりますw
元カノの家そのものは描かれてませんが、そこにあるであろう“土地”はちゃんと画面の中にあるようです(笑)

こういう鳥瞰図を見ていて感心するのは、当時ドローンや飛行機・人工衛星なんてないのによくこんな絵を描けたなって。
2次元の地図見ながら部分的には想像しながら描いたんだろうね。
うん、素晴らしい!

白河の関

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P2167140
「白河の関跡」
東北人にとっては馴染みがあって、しかしその名称には何やらもどかしさ・歯がゆさを感じる古刹である。
去年の甲子園では、「初の白河の関越え!」を目前にして敗れ去った仙台育英。
100年の高校野球の歴史の中で一度もこの関所を越えたことのない優勝旗のことを思うと、ホントもどかしく感じる。


そんな、“因縁”の場所を初めて訪れた。
鬱蒼とした森の中に社があって、その門前に「古関蹟」という碑が建っている。
江戸時代後期の白河藩主松平定信がいろいろ調べた結果、碑のある場所が7〜8世紀から続く白河関の場所であることを確定したのだという。

かつてはこの道を人々が往来した…というような賑わいは感じられない山の中。
ちょっとした集落の中に静かに佇む。
真紅の大優勝旗がここを越えるのはいつの日だろうか…。




「宇和島伊達家の名宝」展

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IMG_4129「宇和島伊達家の名宝」仙台市博物館 10/9〜11/23(月祝)
宇和島伊達家…ってのは、政宗の長男秀宗が宇和島10万石を与えられたのが始まり。
大河ドラマ「独眼竜政宗」では猫御前(秋吉久美子)の産んだ嫡男が兵五郎秀宗である。
でもって、江戸時代を通じて仙台藩と宇和島藩は親戚関係を続けながら、現在では歴史姉妹都市となってるのだそうだ。

仙台以外の土地で“伊達な文化”が根付いているっていうのもなんとなくピンとこないものだが、(仙台とは)いろいろ関連してくる出来事や歴史の事実もあってなかなかおもしろい。…政宗と秀宗の手紙だとか、竹に雀の紋が入った調度品や甲冑etc

history1_imgそんな中でも実は今回一番見たかったのがこれ。
よっく教科書に載っていた「秀吉」
豊臣秀吉の画像はいろいろあるけど“重文”なこの絵を見てみたかったので、先ずは目的は達成されたかな…と。
よっく見るとめっちゃ小顔なんだよねw
手足も小さいw

プロポーション的にそんなにカッコイイ人物とは聞いてないので、作者は漫画的デフォルメが得意だったのかもしれないw
でも、実は天下人の貴重なお姿を前にちと身が引き締まる思いだったりして…f(^^;)笑

辻標巡り

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P5055640久々に辻標めぐり♪
これまで58ヶ所を巡ってきて残り30ヶ所。
冬になったり仕事が忙しくなったりするとなかなか足が重くなってしまって、そのまま出不精になって・・・(^^;

今日は7ヶ所。ほぼ市中心部をメインに廻ってきた。
地図見ながら廻ってくると“気付き”というか“なるほど”というか初めて聞く通り名だとかそれこそ初めて通る道だったり、仙台市教育委員会発行の「辻標」に書いてるウンチクと合わせて巡ってみるとなかなか新発見で面白い。

地下鉄東西線の工事で一時撤去されてた辻標が再設置されたりしてるんで、過去の写真整理しながらガンバってコンプリート目指さないと(^-^)v

リニューアル仙台城址

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P4285581殿、お久しゅうm(_ _)m
天気が良いんで仙台城址まで出かけてみた。
新緑が芽生えてまさに“青葉城”だったわ♪

震災で石垣が崩れて登城する道路が通行止めになって4年。
この春にようやっと石垣の修復と道路の改修が終わって開通かなった。
…に合わせて見聞館や城址公園の整備も行われ、久々に訪れると微妙に真新しさを感じるw


P4285596本丸大広間の建屋があった場所には、その大きさや位置を示すため実際に立ってた通りに礎石を配置。
高さ方向は判らないけど、建坪の大きさは体感できるようになった。
どうせだったら建物全体復元してくれよ!…ってw

P4285599巽櫓(たつみやぐら)付近から東方面 経ヶ峰を経て市街地を望む。
仙台城が山城だということが判るロケーション。
城から眼下には広瀬川が蛇行して河岸段丘の険しい崖が見える。
その崖の山が経ヶ峰…瑞鳳殿(政宗の墓所)の建つ所。城からはそんなに遠くもなく近くもなく歴史散策するにもちょうどいいかもしれない。
…けど、意外とアップダウンなのでいい運動にはなるかもw

5月になるともっと緑が濃くなってイチバン杜の都が映える季節。
「青葉まつり」もあるから、遊びに来てけさいね〜d(^_^o)

縄文時代へ

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三内丸山遺跡に行ってみた。
常々来たかったところ。
ただの野っ原に発掘された遺構や復元された建物が漠然とあるのかなと思ったら、結構なミュージアムとか学習施設、ショップやレストランもある。
しかも敷地がめっちゃ広い!
今日みたいに晴れているけど寒風吹き荒ぶ中を延々歩くのは辛いわ…(>_<)

なんかでも、展示の方法がイマイチ。
復元した竪穴式の住居だったり高床式の家が意外にも朽ち果ててるので、"展示"してるってイメージがない。
縄文の集落の中に遺構展示の鉄骨ドームが忽然とあったり、古の雰囲気も台無し。
レプリカでいいからミュージアム内に作った方が理解しやすいと思うのだが…。
縄文や弥生時代の展示は東北歴史博物館の方がしっかりしてますな。

結局そうなってくると、めっちゃ価値のある歴史の遺構でも、その凄さが半減してしまう。
あの広い敷地もあのままじゃセントアンドリュースのゴルフコースのよう。
ちょっと考えた方がいいかもね。


弘前城

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IMG_2840初めてやって来た弘前城
まだ冬型の気圧配置で木枯らしが吹いていたけど、ホテルから200mくらいのところなので朝メシ前に散歩してきた。

メッチャ広いじゃん!
今は紅葉した葉っぱだらけだけど、城郭の周辺やお堀の土手ほとんどが桜の木。これが聞きしに勝る弘前城の桜か!
春になってこれが一気に咲いたらエラい圧巻だろうな…ってw
うん、これは一度見てみたいもんだ。

IMG_2849やっぱその街のシンボルとして“お城”はあった方がいいですな。
仙台城も細かい部分では「なるほど♪」と思えるような発見のあるお城だけど、その地域を治めたお殿様の象徴的なお城としてみんなに親しまれるような整備が必要なのかもしれないっすな。
弘前城は平城なので城郭全体がメッチャ広い。
堀や石垣が象徴的だ。
地元のじーさんばーさんもいっぱい散歩してるし、早朝にもかかわらず観光客っぽい人もチラホラ。
まさに、地域の人達の憩いの場所ですな。
ある意味手軽に利用できるこの場所が羨ましかったりもする。
んでね、公園内ですれ違うお年寄りたちは一人残らず「おはようさん♪」って挨拶してくれるんだわw
いや〜気持ちいいもんだ(^-^)v
これだったら悪いことする人はいないんでねーべかw

IMG_2844昨日はこの秋イチバンの寒波襲来。
東北道北上してくると岩手山・安比・八甲田山の山頂付近は真っ白雪化粧。弘前城からドカーンと真正面に見える岩木山も白くなってた。初冠雪だったらしい。
イヤ、これもいい眺め♪
お城と合わせて、地域のシンボルのお山もある弘前ってなんか羨ましすぎてズルいわ(笑)



本能寺の変の真実

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P6184310本能寺の変〜431年目の真実明智 憲三郎 著

歴史には“if”だとか、勝者によって歪められた事実とは違う歴史が言い伝えられたりする場合がある。
日本史の中でも歴史的大事件だった「本能寺の変」もその詳細において“謎”とされてる部分が多い。

著者の明智憲三郎氏はその名の示す通り、本能寺の変の当事者…信長を討った明智光秀の子孫だそうだ。
なんちゅうか・・・
ご先祖様の無実…というか、本当にクーデターを起こしたのかどうか、その真実を明らかにする…ってんで、現存する資料を徹底的に検証し、執筆したそうだ。

ま、読んでないんでその内容は???だけど、ボク個人の考えとしては、以前から“黒幕存在説”が有力だと思っている。
要するに光秀を実行犯に仕立てあげた黒幕…。
恐らくアイツなんだろう…と思うけど、本書でどう語られているのか。
そんでもって、現存する資料ってのはどんな内容で、それによってこれまでの定説をどう覆すのか。
それが真実の歴史かどうかは別として、とにかくどういう研究内容なのか興味の的は“そこ”だ。


夜勤の合間の会津巡り

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夜勤で会津の現場。
次の日も福島市内で同じく夜勤の現場。
せっかく会津に行くのに結局のところ仕事だもんなぁ…とがっかりしていたのだが、よっく考えてみると夜勤の福島に移動するのに日中丸々時間があることに気がついた(笑)
まぁ、夜勤の疲れで寝てなければの話なのだが。

結局、午前4時前に眠りにつくも車中泊ゆえの背中のいずさと寒さでいつもの5時台に目が覚め、会津観光の時間は十分に取れてしまった(笑)

P4153831久々の「鶴ケ城」
やっぱ天守閣がドンッと構えたお城は絵になる。
「八重の桜」では官軍の砲撃で無残な姿になってしまったこの天守閣の映像が衝撃的だった。 ボッロボロ…

微妙に桜が咲いてないんだよね。
恐らくここ数日で開花宣言だろう…というこの日。
会津市内は22℃と長袖もいらないくらいの暑さだったのにも関わらずヒートテックを着込んでいたワタクシ(^^;笑)
オチを言うと夕方、福島に入ってから聞いたラジオのニュースで「鶴ヶ城は本日開花宣言発表になりました」と(^^;)
なんだや…って感じだっちゃねw
オラが帰ってからバンバン開いたんか!(^^;)

IMG_2129「会津松平家墓所」
東山温泉の手前に位置する殿様の墓所。
今回ワタクシが動いている一連の仕事とは別件で会津の仕事がもう1件。
この墓所の案内板の設計をやったのだす。
基本プランはクライアントさんが描いたものだけど、施工図を描かせていただき、数日前に設置完了したと聞いたのでタイミングがよく見にこれた。
やっぱ描いたものが実際に出来上がって設置されるとちょっとはドヤ顔ですなw
実際のお墓はここから山道を20分程度登ったところ…ってあったので、「20分」はカラダによくないので引き返して参りました(爆)
墓所の前にももう1基別な形のものがあるので、勇気の方は見に行ってみてくだされw

P4153839市内を出て「野口記念館」でも行ってみようか…と思ってR49を猪苗代方面に向かっていくと「会津藩校 日新館」の案内が。
“ならぬものはならぬのです”と会津の子供たちが習う“什の掟”を軸に会津武士道を叩き込まれる藩校。
当時の日新館は市内お城の近くにあったのだが戊辰戦争で焼けてしまったという。で、現在地に再建されたんですと。

春のパヤパヤとした中でもなんとなピシッとした緊張感みたいなものが漂ってくる施設。
「武士道とはかくあるべし!」みたいな空気感がいい雰囲気だ。
遠く磐梯山も見えてロケーションもいいですな♪


ずーっとずーっと前に来た時はもっとマイナーな・・・「近藤勇の墓」だとか「斎藤一の墓」だとかマニアックな史跡を見て歩いたのだけれど、今回はある意味 “会津史跡探求王道路線”(笑)
ま、基本は押さえるべきですからね。
次来る時は事前の予習でもっとマイナーを探ってみたいですな(^-^)v

どこコレ? in 宮城野

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写真 2014-03-01 17 02 14「どこコレ? in 宮城野」行ってきた。
宮城野区文化センターで開催中の「あなたのオモイ それぞれのカタチ」のなかの企画。
去年の2月と7月にせんだいメディアテークで行われた「どこコレ?」の宮城野区版だ。

なんつったって自分が住んでる“地元”の昭和な写真が目白押しだけに、コレはもう行く前からツボな企画だw

仙石線の前身“宮城電気鉄道”の駅があった我が家の近所の「新田駅」
原町や榴岡・二十人町・X橋界隈…オラたちでもまだ記憶に残ってる懐かしい風景。
岩切の今市橋は三代目で初代は現在の橋より下流側にあった…とか、“地元学”をより間近に感じられる体験談や昔の記憶を聞きながら写真に写ってる場所を特定していく。

オレらがリアルに体験していない戦前や終戦後の写真でも建物や景観は変わっていても概ね区画のあり方を見てみると、意外と今に通づる雰囲気があったりするものだ。
そういう微妙なところに昔と現在の地続き感があるのが面白い。

仙台の古い町並みを知ってる方だったら必見。
今の仙台しか知らない人でも、現在と比較して「こんなに変わってるんだ!」みたいな驚きを楽しめると思う。
是非、行ってみてはいかが♪



平成 25 年度仙台市宮城野区文化センター震災復興交流事業
「あなたのオモイ それぞれのカタチ」〜つたえる つながる〜

実施期間:2014年3月1日(土)〜9日(日)
場所:宮城野区文化センター コンサートホール・シアターホール・市民センター諸室 ほか
料金:入場無料


敗者の戦国史

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歴史人僕らが中学校・高校で習ってきた日本の歴史。
ここ最近の研究や新たな事実の発見によって、習ってきたこととは違う歴史になりつつある…ものもあるw
武田信玄のあのいかつい肖像画だったり、足利尊氏・源頼朝だと言われてきた肖像画も実は本人ではないかもしれんという。
聖徳太子も実は存在しなかったのではないか…という話さえあるw
こりゃもうタイムマシンしか事実は語られんですな。


後世伝えられてきた歴史とは、勝者側から見た理屈によって語られた事実が正史となる。
勝者の正当性を後世に伝えんがため、敗者は余計にその非を強調されて語られる。

石田三成は伝えられてるほど自分勝手だったのだろうか?
太閤殿下の庇護の元、その威を買って諸将に横柄な態度で接したがため関ヶ原では裏切りが相次いだ…とも言われている。

事実は確かにそうなのであろうが、これは徳川方が書いた正史とされている「徳川実記」による話。
徳川の大義名分が立つよう書かれた“曲げられた事実”とも言われている。

恐らく、これまで伝えられてきた歴史・習ってきた歴史とはそういうことで、去年の大河ドラマ「八重の桜」でも会津側から見た幕末・明治維新はこれまでとは違った視点で表現されていた。
負けた側から見れば、あんなに辛く悲しく忘れることができないくらいの憎悪が後々まで語られるのに対して、新政府側の「それいけバンザイ」とは真逆の真実だ。

これまでの正史が全部嘘か?…ということではない。
勝者・敗者、勢力の優越に囚われることなく客観視した事実を語らなければならない。

↑の「歴史人」の特集は“敗者の戦国史”
敗者側から見たこれもまた真実の歴史である。
読むと「そんなことがあったのか!」と、これまでの正史を覆すような事実に驚愕する。

本能寺の変・・・
明智光秀が信長を討ったクーデター。
今もって謎の多い事件であるが、昨年、光秀の子孫が新たな真実と証拠を研究した本を発表したのが話題になった。
※「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎 著

それによると、実は本能寺は信長と光秀が共謀して“家康”を暗殺する場所であったと。
これまで家康は事件の被害者側、信長の良き理解者・同盟者として描かれてきていただけに寝耳に水の話だ。
詳細は憲三郎氏の著作や“歴史人”を参照してもらうとして詳しくは書かないが、そもそも光秀は信長に謀反する計画はあったらしい。その上でその策謀を光秀は家康にばらしてしまう。ばらして家康をクーデターの協力者に仕立てた。
要するにバカを見たのは信長だった…という話。
家康暗殺の動機だとか信長がなぜ少ない手勢で本能寺にいたのか、その後の光秀の行動なんかは著作を読むと案外辻褄が合うのもなかなかうなずけるw

昔から「歴史のif…」は想像力を掻き立てられるものだが、もしかするとifが本当の真実だったのかもしれない。
これまで語られてこなかった反対側からの歴史を改めて考え見直してみると、嫌いだった武将も好きになってしまうこともあるかもねw


小次郎は生きていた

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PC033067今日一番のひろうき的ビックリニュースはこれ。
「小次郎は生きていた」

小次郎=伊達小次郎政道のことで幼名“竺丸”
伊達政宗の実弟である。

東京あきる野市にある大悲願寺の第15代住職の法印秀雄が小次郎であるという。

正史「貞山公治家記録」によればこの小次郎、兄政宗によって殺害されたとされている。
秀吉の小田原征伐への参陣が遅れたため遅参した罪で政宗は切腹、伊達家は取り潰し…となる公算が大きかったため、実母“お東の方”義姫が秘密裏に政宗を毒殺し家督を弟の小次郎に譲って秀吉に恭順しようという家中の動きがあった。
幸い毒殺は未遂に終わったが、家中が分断したまでで小田原参陣はできない。
反政宗一派を封じ込めるために当の本人“小次郎”を殺害して恭順派の思惑を断ち切ろうとした政宗の行動が一般的な正史となっている。

「赦せ小次郎…母の代わりにそなたを討ったのじゃ…!」
大河ドラマ「独眼竜政宗」でもこのシーンは渡辺謙さんの迫真の演技が光ってましたな♪

この小次郎生存説は水面下では意外と“ある”話で、今回資料を再発見して生存の事実を確信したという佐藤先生。
元仙台市博物館の館長さんで、著者「政宗の手紙」など政宗の研究に関しては第一人者である。
命懸けの秀吉との対面を前に、血統を絶やす実弟の殺害は考えにくい。伊達家の混乱を防ぐため政宗と義姫が申し合わせて小次郎をかくまったのではないか
実際、小田原参陣後や朝鮮出兵後にも“主犯である”母義姫とは手紙のやり取りや同居もしている事実があることを考えれば、生存説のツジツマも合ってくる。

そういえば漫画「花の慶次」でも小次郎は出家して坊さんになる…というストーリーでしたなw

歴史…ってのは時代が進んでその研究がどんどん進んでいくと、新発見やこれまでの事実が実は全く違っていた…なんてこともようようにしてあることで、今回のことも“殺された”から“生きていた”なんていう真逆の真説になりうるかもしれん発見だったりする。
常に正史が正しいとは限らんのですなw

そう考えると、とーちゃんである“輝宗さん”も畠山に囚われた時、政宗が苦渋の決断で父諸共相手に鉄砲を撃ちかけ父をも殺してしまった…って話もマユツバに思えてくるw
いくら戦国の世だからと言って、実の父や弟を殺したりするもんだろか?

百聞は一見に如かず…やっぱ誰かタイムマシーン作ってくんねがな…(笑)



家康公検定

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081231_ieyasu_1昨日のニュースを見ていて「第1回家康公検定」なるものが実施されたのを知った。
そんなご当地検定あるんだw
…ってんでググってみると、これまでは愛知県岡崎だけで「岡崎 家康公検定」ってのが行われていたところ、2年後に家康公没後400年になる…ってんで、この度、縁の地「岡崎・浜松・静岡」で行われたのだそうだ。

面白そう♪
オラの大御所様知識はなんぼのもんか?…ってんで過去問題をDLしてやってみた。
勉強もなにもせんでとりあえず今の実力はいかに…?
ちなみに100門中70点以上で合格。

結果は75点
やるなぁーオレ!σ(゚∀゚ )
意外とツウでしたなw

いやはや、我ながら鼻高々♪
これでしっかり勉強して臨んだら大した成績だったかもねw

難しいのは家康公検定…と言いながら、直接本人に関わりのない家康のじーさん(清康)の問題だったり娘や子孫に関係することも出題されるので、 “徳川幕府検定”のような感も否めないw

ま、「花の慶次」「影武者徳川家康」のマンガをよっく見て、山岡荘八文庫版「徳川家康 」(全26巻)をよっく読んでれば楽勝だわ♪

伊達政宗公検定ってのはないんか?(笑)
仮にあるんだったら、2級クラスまでは楽勝できそうですなd(^_^o)


「どこコレ?」始まるよ〜

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どこコレ2「どこコレ?」 7月20〜8月25日
せんだいメディアテーク 7Fラウンジ
13:00〜17:00まではスタッフ在中

今年の冬に開催した「どこコレ?」が好評につき第2弾として開催d(^_^o)
今日はその搬入の手伝いに行ってきたのだす。

なにが面白いか…っていうと、要するに昔むか〜し何処で撮ったか判らん写真の場所当てだす。
来場者の中には当時その時代を知ってる人やその近くに住んでいた人…いろんな記憶を持ったお方がいる訳で、当時の思い出と共にいろんな話やメモを残していってくれる。
中にはどっかの板塀だらけの路地の一角に「◯◯◯医院」とだけ看板が写ってるだけのほとんど手がかりのないものもあったりするんだけど、そういうのに限ってたまたま訪れたご老人が、
「あれあれ…こごの病院の向げぇさ、オラいの友達住んでて、よぐ遊びさ行ったもんだ。小田原の◯◯だ」
ってな具合で超難題が判明したりする(笑)
まさに「へぇ〜」とか「ほ〜」の連続だ。
そんな写真やメモを見た別な人がまた違った当時のいろんな様子やエピソードを話し始める。
どんどん付箋が増えていって目からうろこの話に発展する。
そんな思いがけないエピソードが一緒に発掘されること、それがまた素晴らしい!

当時のその写真と現在の街並みの変遷。
付箋に貼られたそういったメモ書きとエピソードを添えて「どこコレ?」の書籍化も面白いインタラクティブだと思う。

とりま、ホント面白い企画だからみんな来てみでけさいd(^_^o)


なつかし仙台3

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P6303067「なつかし仙台3」2013.6.29〜2013.11.4 仙台市歴史民族資料館

一般市民から提供された明治・大正・昭和のアルバムやら個人で保管してある写真を展示。
私たちが今やってる震災アーカイブの活動だったり定点観測だったり「3.11キヲクのキロク」のような日常や身の回りで起こったイベントなんかのスナップ写真感覚で撮られた写真が多く、これまで多く見てきた絵葉書や公の写真とは違って、個人蔵の写真はテイストが違ってた。

中でも、飛行機から撮る写真は珍しい。
当時(大正)の仙台の街並み全体を見るには「地図さんぽアプリ」とかいわゆる“地図”で見る以外ないと思ってた。
戦中戦後になってから、高高度から撮影した航空写真は見たことあるし国土地理院でも閲覧できるようになってるけど、比較的低高度から撮られた写真は見たことないし、しかも大正時代のそういうものがあるとは思ってもみなかったもんだから、見た瞬間かなりアドレナリンが上昇した(笑)

写真で見ると街並みは一目瞭然で、地図では細かい建物まで描ききれてないせいもあるのに対して、航空写真だと意外にもびっしり家が建ってたりする。
P6303068現在の青葉区五橋3丁目(北目町大ガード下の南側〜五橋交番のある交差点まで)にはかつて専売公社(専売局)があった。
中央を上から左に通ってるのが東北本線、画面中央にある回廊状の建物群が専売公社。
地図さんぽの画面と比較してみた。
仙台市街の航空写真も数枚あって、当然ながらそのコーナーでしばらく時間を費やしてしまった(笑)

その他、当時と現在の街並み比較写真もあって、今回の展示はかなり自分的ツボな内容だった。
長い開催期間の中で、2回くらい内容を追加入れ替えするらしいので、期間開けてまた行ってみようと思う。

あっぱれでござる!

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P4192590













東北大の現場の帰り、博物館に寄って、その足で本丸まで登城。
相変わらずあの坂道はキツい!
舗装された今ですらあんなにキツいのに、江戸時代のその昔はもっと大変だったろうに…って(^^;)
二の丸に政庁施設を持ってきたのは正解…というか、当時のご重役たちもやんだぐなったんだべねw
毎日毎日あれじゃ体育会系の部活やってるようなもんだわ(爆)

政宗の殿と桜。
カッチョいいっすなぁ〜
あっぱれだわd(^_^o)

つか、騎馬像の後ろに桜の木なんかあったっけ?…って話。
今まで何回も行っててぜんぜん気が付かなかったっす。
大きな松の木があるのは知ってたけど…。

山(石垣の上)から城下を見渡すと、桜の木がモコモコッとなってるのが一目瞭然。
あっちにもこっちにも♪

雨風がなければもう数日は今年の桜を楽しめるんじゃなかろうかd(^_^o)

八幡町界隈ぶらり

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P1122089初詣の賑わいも一段落した頃…と思って辻標巡りの傍ら八幡町界隈をうろついてきました。
大崎八幡は明後日14日の「どんと祭」に向けて準備の真っ最中。既に“御神火”周辺は正月飾りが高く積まれ当日を待つのみ…な感じでありました。

どんと祭当日の天気予報見ると、なぁ〜んか荒れるっぽいんだよね(^^;)
太平洋側を低気圧が北上してきそうなんでいわゆる爆弾低気圧の傾向。どのくらい荒れるかちょっと心配だ…。
御神火は元より裸参りはちょっと気の毒な感じです。

P1122112大崎八幡神社を後にしてからは広瀬川に向かって滝前丁を下り、途中。北五十人町を角五郎・中島町方面に向かってみました。
とりあえず目標は“宮城県知事公館”。ここに「新坂」の辻標があります。
この辺は初めて足を踏み入れました。

結構一方通行が多く、なんとなく不便さを感じるものの閑静な感じのいいところです。
所々広瀬川も眼下に見えるのがGoodだすd(^_^o)

で、その知事公館。
入っていいのかどうか迷ったけど、勝手に写真撮ってたら係のオンチャンがパンフ持ってやってきて親切に公館の説明をしてくれました♪
門が全開してる時はなんのイベントも無いんで見学可能だ…って言ってた。
MJQとかで結婚式に使ってる時もあるんだと。

知事公館を出て支倉町経由でライオンズタワー仙台広瀬方面に北上。
例によって手前味噌ですが、このマンションの公共部分のサインデザインは私の現設計でございますd(^_^o)
…で、その麓にある辻標チェックして国道48号線を横切って更に北上。
石切町・覚性院丁へ。

P1122135おっ!ここはNHKローカル「てれまさむね」内の“てれまさんぽ”第1回の四谷用水特集に登場した石屋さんだw
この辺は住所こそ八幡町になっちゃってるけど、藩政時代の通りがそのまま残ってるので、古い地図見ながらでも歩けるし、そこかしこにちょっとした石垣だったり四谷用水の痕跡があったりで非常に楽しいところ♪

それでも今日はトータル5kmちょいくらいの行程だったんでまだまだイケました。
今度はもっともっと時間を掛けて歩いてみたいですな。


P.S
辻標お遍路さんも全88ヶ所のうち今日で54ヶ所制覇しました♪



「瑞鳳殿」初詣

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P1042037昨日のこと。
瑞鳳殿へ初詣に行ってきた。
「殿、明けましておめでとうござりまする」m(_ _)m

冬型の気圧配置。晴れてたけど北風ビュービュー!
カメラ操作するにもグローブしてないと指先ちぎれんでないか!つうくらい寒かったわ{(><;)}

それでも意外と観光客さんが来ておりまして、あの坂道と階段をでっかいスーツケースのキャスター引っ張りながら登ってるお方も2〜3名。
多分県外者なんだろうね。
下の駐車場のコインロッカーに預けりゃいいのに…ってw
途中でビバークでもするつもりだったんでしょうか(爆)


P1042040記憶の上では去年まで工事中だった涅槃門
よくよく調べてみると竣工は2010年3月になってた。
震災前に終了してたんですな。ここ2年くらいは震災のお陰で記憶も定まってないらしい(^^;)
ってことで去年、写真も撮ってないようなので修復なった「涅槃門」をパチリ♪

瑞鳳殿本殿と同じように綺麗な色彩が蘇ってヨカッタですな。


P1042052年末の河北新報にも載っていたけど、資料館の前には藩政時代の門松を飾っていた。
当時の版画や絵画を参考に復元したらしい。
強風なのでしめ飾りがビニールに入っちゃってたのが、ちとかっこ悪い…(^^;)
年が明けてからは仙台市博物館・仙台文学館・仙台市歴史民俗資料館などでも同じ門松を飾るらしいっす。
こういう取り組みは地域文化として地元の公共の施設なんかでは統一してやったらかっこいいのに。

「入りそめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ」

ってd(^_^o)

感嘆

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歴史というカテゴリーの中では、仏像だとか木像だとか…そういうものにはあまり興味が無い方である。
博物館とかに行っても結構スルー気味。
キャプション読んで
「ふ〜ん…」
「へ〜…」
「ほ〜…」で終わってしまう方である。

ところが。
宮城野区新寺にある妙心院。
この山門にある阿吽の仁王像を見て驚いた。
たまたま寺の前を通り過ぎる時に、街中のお寺には似つかわしくない山門があるのに目を引かれ、車を止めて改めて見てみると、そこには二体の仁王様。
目が合った。
いきなりこっちを睨みつけている。
思わず前述とは違う感嘆の「ほ〜!」が出てしまった程だ。
言葉は悪いかも知れんが、そんじょそこらで見てきた仁王様より圧倒的な存在感だ。
今まで見てきた仁王様はスーパーサイヤ人の第1段階の変身だとすれば、これは第2段階以上のスーパーマッチョである。

もう16〜17年くらい前だけど、東大寺や法隆寺の仁王様…金剛力士像を見た。
凄い…。
あのスケールとディテールや表情はさすが国宝だ。

今日のこのきっかけで、怒れるマッチョマン…仁王様のおっかけをやってみたくなったわ(笑)


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