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buratamoriブラタモリ in 仙台〜「杜の都」の秘密
先週に引き続き仙台ロケ2日目。
いつから仙台は「杜の都」と呼ばれるようになったんだろう。
町割りが東と西で違うのはなぜだろう。

2つのお題にタモリさん・桑子アナ、先週に引き続きナビゲーターは木村師匠。
やっぱり怪しい格好w
アロハなんか着て、ハワイの人さらいかと思ったわ(爆)

以前、高等裁判所〜東北大片平キャンパスの片平町旧武家屋敷の石垣は木村師匠と一緒に歩いてレクチャーしてもらったことがあったので復習のつもりで見てました♪
裁判所の中に藩政時代からの大木があって・・・要するに武家屋敷の中には政宗の殿の奨励で建材・食材・燃料になるような木を植えて石高の不足を補おうとした政策だったのだそうで、武家屋敷が7〜8割だった仙台の町の中はさながら森のようだったらしい。
それが「杜の都」の原点で、江戸の昔からそう呼ばれていたのだという。
…ってのは初めて知ったw
「杜の都」ってのは戦後 定禅寺通り・青葉通りが拡張整備されてケヤキが植えられて、それが緑のトンネルになってから「杜の都」になったんだと思ってました。
う〜ん、なかなか勉強になる(^-^)v すばらし〜

次の町割りの問題。
今の東二番丁通りと清水小路が交差する交差点(旧市立病院前)から東側の町割りが明らかに違う件。
晩年に政宗の殿が隠居所として建てた“若林城”を中心とした別な町割りを行ったお陰で、城下町によく見られる基本的な碁盤の目の町割りじゃなくなったのだと。
仙台には2つの城下町があったんですな。
やっぱりしたたかな“伊達政宗”でありましたw

それにしても宮城刑務所(若林城)の内部取材、よく許可してもらえたっすな。
お陰で、これまで見れなかった臥龍梅も見ることができたわ。

江戸時代の町割りがほぼ当時に近い状態で残ってる仙台。
所々には片平町のように当時の痕跡も残ってる。先週の四ツ谷用水も。

久々に「仙台地図さんぽ」持って街中うろついてみたくなったわ♪