酒田大火から38年
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夜間の現場のため開始まで時間を持て余したので「山居倉庫」へ。
黒塗りの木壁と石畳とケヤキ並木。
シロウトが撮った写真だとなんでもないけど、ここに吉永小百合さんがいてプロが撮った写真だとぜんぜん雰囲気違うんだろうな…って(笑)
やっぱりこういう歴史が刻み込まれた場所ってのは、自然と感性が豊かになるのかもしれない。
昨日で酒田大火から38年経った。その時の思い出…。
あの日は木枯らし吹き荒れる寒い日だった。
部活終わって夕方暗くなって学校(中学)から帰って来て、たまたま見ていた夕方のニュースで火事のニュースをやっていた。
酒田なんてのはそれまでニュースになるような出来事なんかなんにもなく、テレビで“酒田”ってフレーズが出ることにちょっとした驚きを感じてた。
その時点では単なる火事…としか思ってなく、晩メシ後はなにか別なことをしていたようだ。
そのうち親父が会社から帰ってきて、開口一番「酒田でスゴい火事だ!」ってんで「まだ燃えてるんか?!」って。
改めてニュース見てみると街中が燃えてるという。
これは大変だ!
加奈子ちゃん家は大丈夫か?
清和くん家は大丈夫か?
ノリちゃん家は?
ウメキモデルや中村模型は?
親戚やかつて知ったるお店とか、だんだん人ゴトではなくなってきた。
親父が電話を掛けてみるも既に通じなく、現地の安否はなにも判らない。
ニュースで燃えてる地域を確認すると、親戚関係の家とはそれほど遠くない。
このまま延焼すれば燃えてしまうような感じだ。
今更どうしようもないのは判っているけど、子供心にも親父に早く酒田に行って欲しかったと思った。
結局、数軒ある親戚ん家はすべて延焼は免れたが、オラにとっての虎の子のプラモデル屋さん「ウメキモデル」「中村模型」は焼けてしまった。
酒田に行った時の楽しみが半減してしまう結果になってしまった。
その後、親父は数日掛けて酒田に帰って色々手伝ってきたようだ。
不謹慎であるけれど、当のオラは全国区になってしまった酒田にちょっとばっかり優越感を感じていたものだw 街であろうが人であろうがテレビに出ること自体が“垢抜けた証拠”みたいに感じていたせいかもしれないw
今、跡地を見ると「大火があった」ことは街並みの再興からはほとんど窺い知れない。
酒田の街中を走っていて、ふとそんなことを思った。
大火の記念日翌日に酒田にいることに因縁を感じた。
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